俺が中学生の頃、二人の友がいた。俺、大河 竜、背高のっぽの三田 信彦、平均的な体つきの永沢 健の三人。
俺らは友と言っても、ただの友達、とかじゃなくて親友の関係だった。中学に入って間もなく、話してみたら気が合った。意気も合うし、運動も僕らはかなりできるし、笑いの壷だってかなり同じだし。
そんな俺ら三人だったのだが、一つ大きな欠点を挙げろと言われたら、“馬鹿”だということだ。
それが後に俺らが“トトロ”と呼ばれる原因にもなる。
「せーの!」
バッ、と三枚の紙が輪になった俺ら三人の中で裏返る。
「ぶっ」
「うわっ」
「・・・危機感有り」
三人が三人とも違うリアクションを取ったわけなのだが、それでも見たものは同じだ。
三枚の期末テストの解答用紙。教科は英語。
そして、そこに記された点数は極めて低い。
「十点、十点、六点。ある意味、芸術の域に達してるな」
「何が?」
「・・・・・・俺だけ一桁・・・・・・」
永沢が無駄なことに落ち込んでいる間に、俺は言った。
「だってほら。ト・ト・ロになってんじゃん」
俺は言った後に少し自慢げな顔をする。
「ぶ、お前無駄なとこに頭働くなぁ」
三田が要らないところに感心してるのを見て、俺が言い返す。
「無駄とは何だ。お前トトロだぞ?あの天下のみや・・・」
「宮崎駿だよ。そこでつまるな」
「すいません」
永沢の冷静な突っ込みに頭を下げる。
「トトロ、か。面白いじゃん。俺らこれからトトロね。よろしくっ」
急に三田がでかい声で叫び始め、周りからかなり冷たい視線を浴びる。
「おぉ・・・・寒っ」
やっぱり感じるんだ。俺は密かに感心した。
「そんじゃ、そういうことでお願いね」
「お願いしまーす」
「頼みますわぁ」
三人揃って頭を下げる。
その後、教室内は体感温度氷点下という、非常に珍しい状況となった。
それから、“トトロ”という、俺らのニックネームが世に広まる、いや、クラス中に広まるのはそう長くはかからなかった。なぜだか知らないけど。
まぁ、俺はそれが少し嬉しかったし、何より次の朝の母の知らせはもっと嬉しかった気がする。何せ、生まれて初めてだったから。
とにかく、うちは貧しかった。父が俺が小さい頃に事故で死んじゃったのがその大きな原因。と言っても死んじゃう前もそこまで豊かじゃなかったけど。
今は、母が必死に働いていて財政的に余裕のよの字もないくらい。
それでも、毎日食べて生きていけてるんだからいいじゃん、と俺は思っていた。まぁ、そりゃ俺にも欲はあるし、食べたいものは食べたいし。
だから、生まれて初めての“マグロ”という言葉にはかなり光り輝くものがあったんだ。
「おーい、竜?」
俺の部屋は二階の隅にある。少し小さく聞こえた今の声の出所は多分一階のキッチンかな。
「ん?何」
俺はほぼ叫ぶようにして返事をする。そうじゃないと聞こえないからだ。
「今日さ、マグロつけとくからね」
え?俺は聞き返そうとして、初めて耳にする言葉に気づく。マグロ?
「マグロ?」
「そーよ、マグロ!つけとくから」
「よっしゃ!」
俺は内心で喜び、その喜びを外にも少し放出する。と、喜びに浸っていたら学校の時間がかなり迫っている事に気づいて焦り、急いで鞄を背負うと玄関へ走った。
一日中俺はテンションが高めだった。というより、高かった。異常なほどに。
「おー、永沢、三田、愛してるぜ!」
会った瞬間に俺の言葉がこれだ。そこから、テンションの具合を判断してもらいたい。
それにしても、俺らトトロは相変わらず馬鹿だった。三田は理科の重力をうな重と聞き間違え、
「先生、全ての物体にはうな重がかかるって何ですか!」
と元気良く質問した。その時俺と永沢は大笑いしたのだが、その後の大失態はもっとひどい。
国語の音読練習で俺と永沢はペアを組んだ。そこから徐々に破滅の道を歩んでいく。
先生の音読の指示。
「おんどり?おい、鳴くのか?」
永沢、真面目に言うからお前は怖い。と、その時は思ったものの俺も人を笑えないほどの事をこの後平気でやってのけてしまったのだ。
先生がペアに前に出て呼んでもらうと言った。もちろん、その瞬間に俺らは当たらないようにとその時ばかりの神に祈りを捧げる。
「じゃ、大河君、永沢君、お願いね」
クラスの所々で忍び笑いが聞こえたのは空耳だろうか。
「・・・・・・はい」
俺は小さく返事をすると、今までのテンションがどこかに吹っ飛ぶのを感じた。
永沢も文句を垂れながら席を立つ。
数秒後、教室の前に馬鹿二人が立った。
「じゃ、お願いします」
俺はその言葉を聞いた後、永沢に目配せをする。ここは、真面目に読むか?
永沢は俺の合図に気づいたらしく、こんなチャンス滅多に無い、と言った目つきをした、と思う。俺は頷く。
「よし、じゃあいきます」
「うっ・・・・」
バタッ。俺はその場で崩れる。え、と言った疑問の眼差しが俺に向けられる。永沢からも同類の視線が。
「え?」
「え、じゃないでしょ」
俺は直ぐに立ち上がり、言い返す。
「だってほら、逝きますって言ったから」
「や、俺は今から読みますって意味で」
俺は少し黙ってそれから、
「だったら、変な目つきするなよ」
ぼそっと言った。
「今日は良かったぜ、特に大河!」
三田がバシッと俺の背中を強打する。痛い。
「あのさ、あれは永沢の・・・・・・」
「おいおい、でもいきますを勝手に逝きますに変えたのはお前だぜ」
ぐ、まぁそうなんだけど。
「そーだったな、はっはっは・・・・・・は・・はは」
「古」
「うん、古い」
「すいません」
俺はいつも通りの謝罪をする。
マグロ。学校の帰り道、俺が考えているのはそれだけだった。どんな味なのかはともかく、その言葉の放つ神々しさにただただ感動していた。
「ただいまっ!」
俺の家では大抵学校に帰るとすぐに飯になる。いつもなら、鞄を二階に置いてくるのだが今日は玄関に放っておき、直ぐにリビングに向かった。
「おかえり。ご飯・・・・」
「食べるっ!」
ガチャッ、と俺は大きな音を立ててドアを開け、そして・・・・・・。
「え?」
いつも通りだった。マグロ、は?
心の中で呟いたはずだったのに、知らないうちに口からも零れ落ちていたらしい。
「え、マグロ?ああ、朝の奴ね。あれは、キーホルダーよ。ほら、見て」
母がそう言って、家の鍵を出す。そこには安っぽいマグロ寿司のキーホルダーがぶら下がっていた。なぜか母が自慢げな顔をしてるのに気づき、無性に腹が立つ。
それを見て思ったことを一つ、一つだけ言おう。
「そんなこと、俺に話すなって」
少し怒鳴り気味で言いたかったのだが、がっかりしてそれどころじゃないっぽい。声が全然でなかった。
「まぁ、ほら。食べて食べて」
「・・・・・・はい。いただきます」
俺は、見るからに肩をがっくりと下げて飯を食べ始めた。
次の日の俺の表情はかなり落ち込んでるのが目に見えるほどだった。なんせ、永沢と三田に、
「おい、お前いつから悪魔と契りを交わしたんだ?」
と聞かれたほど。余程酷い顔をしてるらしい。余計鏡を見れなくなった。
まぁ、そんな表情も馬鹿な事をやってるうちに直ぐに消え去ったのだが。
そんな、俺らトトロはかなり阿呆だったが、クラスのムードメーカの役割を立派に果たしていた。じゃなければ、クラスにこんな笑い声が起きるわけが無い。
それが俺の勘違いってことも十二分に有り得るけど。
その笑い声は勿論俺ら三人、トトロ皆が創り出したモノであって、一人や二人じゃ起こせない。
それだから・・・・・・本当に哀しかった。
「はぁっ?」
俺は口を大きく大きく開け、周りを震撼させるような声で叫んだ。
永沢もほとんど放心状態だった。
先生は悲しそうに頷く。
「えぇ、本当です。今朝、三田君のお母様から電話が・・・」
「交通事故・・・・だそうです」
帰りの会だった。先生の一言は、俺とそして、永沢の心には深く突き刺さった。抜き取れない位の深い傷。
「三田君が、今日の登校時に亡くなりました。皆さんには授業に集中してもらうため、帰りの会までは教えるな、との指示が出されていたので」
その瞬間俺と永沢は立ち上がって叫んでいた。
ふざけんな。三田が死んだ?冗談じゃない。あいつが死ぬわけあるか。あの、本気で全ての物体にうな重がかかると信じ込んでいた奴が。
死ぬわけっ・・・・・・、叫ぼうとした俺の肩に大きな手がかかる。永沢か。
「今、叫ぼうとしたろ」
「してねぇ・・・・」
「しただろ。俺はトトロのロだから、わかるんだ」
意味が分からない。ロだからなんだって話だ。それでも、永沢がまだ“トトロ”と言っていることが俺は少し嬉しかった。
「あのさ。三田の事は忘れろ」
急だった。あまりに急の展開に俺は言葉をつまらせる。
「忘れれば、またちゃんと笑える。な?」
永沢の言葉に俺は何だか嫌悪に似た何かを抱いた。それと同時に俺のいかれた思考が働き出す。トトロ、そこからトの三田が抜けるって事は、“トロ”。
「やだ。絶対に、俺は三田の事を忘れたくは無い。お前、本当にいいのか?忘れちゃって。俺は絶対に嫌だね。いっその事、“トト”になれば良かった!」
俺は叫んだ。怒っている最中にこんな事言うなんて、やっぱ俺は馬鹿だなとつくづく思う。
それでもいい。馬鹿には馬鹿なりの考えや行動があるんだから。
あの時以来、俺と永沢は口を利かなかった。実際は、俺がずっと避けてただけなんだけど。
それにしても、なんであんなに嫌悪感を覚えたんだろう、と自分に問いただす。それで思いつく原因は二つだった。
一つは、正直に三田を忘れたくないという気持ち。
そしてもう一つは、トロってマグロの事でもある。つまり、あのキーホルダーの体験の時の嫌悪感を思い出したって事じゃないか、と。 END